top of page

ふくいの伝統的民家「和樂」

 

和樂はふくいの伝統的民家の認定を受けた木造切妻造平入りの町家型民家です。

「和樂」の歴史

 和樂の家屋の主な部分は、明治時代に建てられたものですが、庭は江戸時代からの歴史を誇ります。奥の小高い築山に泰山木、銀木犀、紅葉、楓、つつじ、サツキ、苔や波石を含む飛び石、五色石が庭を彩ります。地下は岩盤が厚く、その隙間を泰山木の根が庭全面に広く張り巡り経年を感じさせます。

 庭に面する雨縁(雨ざらしの縁側。濡れ縁ともいう。)の外壁と柱の一部は江戸時代のもの。外壁を堺に外側を使用人が通り、内側をお殿様が通る、殿さま廊下の構造。1729年松岡藩邸取り壊しの折に、廃材の一部の払い下げを受け移築したもの。廃材の多くは福井城ノ橋の東光寺の修築に使われました。松岡藩邸の造営は1653年であったため最大で360年ほど前の藩邸の跡が一部和樂に残っているといえます。

 和樂は松岡藩(1645年~1721年)城下町の椚(くぬぎ)通りに位置します。町人の居住区として町割りされていた区域です。

 和樂の敷地には江戸時代の昔、造り酒屋がありました。敷地内には今でも当時の井戸が残っています。清流九頭竜川が間近に流れる松岡は、井戸を掘ればどこでも水があふれる水量に恵まれ、江戸時代宝永年間には16軒の造り酒屋が軒を連ねていました。

 また、元禄2年(1689年)には俳聖 松尾芭蕉が松岡天龍寺を訪れ一泊しています。松岡の言い伝えでは、天龍寺を出て東に向かい、町はずれの立花の茶屋に立ち寄り、その後永平寺参拝に向かわれたとのこと。椚通りは「松岡12曲がり」と言われる旧街道の東側。芭蕉が歩いた道なのかもしれません。

 明治時代に下ると福井県下では繊維業が盛んになり、呉服商、その後機屋を営みました。松岡にはいたるところに機屋の建物が残り、昭和の風情を醸しています。

bottom of page