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現代の日本人は、電気のある生活が当たり前になっています。

和樂ではできるかぎり照明を少なくして、自然光の陰影の中で

昔の在り方そのままで

お茶を召し上がっていただき、

絵画を鑑賞していただき

日本の心を楽しんでいただきたいと考えております。

「和樂」の美術品

 玄関を上がっていただくと、まず目に飛び込んでくるのは六曲一双の金屏風。こちらは「柵(さく)と遊象図(ゆうぞうず)金屏風」。作者不詳で、江戸時代中~後期のものといわれています。屏風の前に座ってみると、象は柵から出て遊ぶのか、それとも私たちが象と一緒に柵の中に閉じ込められてしまったのか……。なんとも不思議な気持ちになることでしょう。

 この絵は、和樂亭主の祖母の生家の蔵に眠っていたものでした。生家のあった丸岡町野中山王(のなかさんのう)は丸岡藩内なので、藩主有馬家(ありまけ)に関係するものと思われます。しかし1689年の糸魚川転封(いといがわてんぷう)騒動以来、大変財政難に苦しんだ有馬家がこのような屏風図を絵師に作らせるようなことは考えにくいところです。ただ、文献を紐とくと、1830年に第6代藩主となった徳純(のりすみ)が越後高田藩榊原家(さかきばらけ)からの養子であり、この徳純の祖父にあたる榊原家8代当主政岑(まさみね)が吉原三浦屋の高尾太夫(たかおだゆう)を身受けしたことで有名で、遊興を尽くして徳川吉宗公に蟄居(ちっきょ)を命じられた人物であったこと、また徳純の兄である11代当主政令(まさのり)の母が「象(きさ)(喜佐)の方」と呼ばれていたことから、榊原家が作らせた可能性があると考えられます。

 

 近年、日本美術の展示企画でも立体的に描かれた日本絵画が意識されるようになり、特に三井記念美術館の「丸山応挙―空間の創造」展は話題となりました。この「柵と遊象図金屏風」もまた、平面で見た場合と折り曲げてみた場合では、全く印象が異なります。角度を変えてご覧になってみると、屏風の屈折を利用して柵の立体感や象の重量感が表現されていることがわかるでしょう。

 古来、画題としての象は、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)のまたがる霊獣(れいじゅう)として描かれてきましたが、1728年、長崎にやってきたベトナムの象が江戸の吉宗公に献上されて以降、かわら版をはじめ、象を巡る多くの出版物が刊行され、伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)や歌川国芳(うたがわくによし)など、多くの画家が実在の生物としての象を描くようになりました。和樂の象金屏風図もこの時代の流れで描かれたと考えられます。

 伊藤若冲といえば、その収集家としてジョー・プライス氏が有名です。プライス氏は江戸時代の若冲が絵を描いていた環境の再現を重視し、自らのコレクションの博物館展示では、従来の日本の博物館ではありえない自然光下での展示、ガラスケースを取り除いた展示を実現しました。この「自然な状態での鑑賞」が作品の魅力を最も引き出すと考えたのです。

 

 ここ和樂でも、光の変化で変わる作品の表情や、質感、ふと浮かび上がってくるつがいの象の妖しい魅力を肌で感じていただきたく、描かれた当時と同じ状態で展示しています。今となっては希少となった「昔ながらの日本」を楽しんでいただければ幸いです。

【その他の美術画】

床の間…「山水図」淵上旭江(ふちがみ きょっこう)/江戸中~後期

床の間…「釈迦牟尼仏文殊普賢諸大羅漢尊像図」作者不詳/江戸

床の間対面…「源氏物語図屏風」作者不詳/明治・大正

縁側奥…「牡丹」山本大慈(やまもと だいじ)/昭和

(参考「丸岡町史」「有馬家世譜」「シリーズ藩物語 高田藩」「プライスコレクション 若冲と江戸絵画」)

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